だだもれ人生

指の間からこぼれ落ちる生き様
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「鎌倉北条氏の興亡」 奥富敬之

鎌倉時代のことを知るなら、北条氏を知らねば。
ということで図書館で見つけたこの本。
上級者には物足りない内容だろうけど、入門するならこのぐらいの分量が丁度いい。
文章も簡潔でわかりやすい。テンポよく読めて、130年の歴史が一望できる印象。


覚え書き
時政から5代時頼まではライバル蹴落としの時代。
源頼朝の外戚とはいえ小身の北条氏は、有力御家人と肩を並べるには実力不足だった。そこで時間をかけてライバルたちを陥れてゆく。

2代義時は、若い頃より頼朝に近侍し、その政治の理解者だった。
武士のための政権の基礎が固められ、3代泰時が御成敗式目や評定衆の設置を行って安定させる。
承久の乱が起きたのもこのとき。これによって朝廷に対する幕府の優位がはっきりする。

順調な運営のおかげで北条一族は大発展。ところが増えすぎて統率がとれなくなってくる。意見の対立も起きる。
そこで泰時は一族に対しての、宗家の優位も明らかにする。義時の法名「得宗」を宗家の呼び名にして、庶家とは違うのだよって精神的に覚えこませたってことらしい。

これらが実を結んだのが5代時頼。
時頼は出家して執権を一族に渡して引退するのだが、引退後も権力を手放さず事実上の首長だった。
こうして得宗家に権力が集中する得宗専制時代が始まる。

次の時宗は父親から帝王学を教え込まれた若社長。順風満帆の会社を譲り受けたとたんにリーマンショックならぬ元寇に襲われる。
彼は若さと豪胆さで国難を乗り越える…というイメージがあるけど、最後の方では強度の神経症になっていたらしい。トップも大変だぁ。

この時代の御家人達は、分割相続で土地を細分し、貨幣経済の発展でゼニが払えず困窮し、結果的に土地を失う事態が発生していた。そのうえに元寇の負担。防衛戦争だから恩賞の土地も無い。逆に得宗の権威はますます高まり、全国に所有地が増えてゆく。不穏な空気が広まってゆく。

次の得宗は14歳の息子貞時。後見人争いの中から得宗被官の代表平頼綱が勝利する。
得宗が政権を握っているから政府機関は有名無実。得宗の下で働く被官たちが実際の政務を行っていた。
その代表者が実権を握るのだから、政治はやりたい放題である。後に成長した貞時が頼綱を討って実権を取り戻すが、
我が子高時の後見にやはり得宗被官の長崎円喜を指名した。もはや存在無くしては政治を行うことが出来なかったのだろう。

高時の代で鎌倉幕府は滅亡する。
数百の一門、得宗被官たちが自刃して果てる。
盛者必衰というか、せつない。


エピローグ扱いだが、印象的な人物が出てくる。高時の次子時行だ。
武装蜂起して建武新政府に挑むのだが、負けてばかりいる。しかし、しぶとく逃げ延びて、また立ち上がる。
ついには南朝方についてまで足利尊氏と戦い続ける。鎌倉奪還を悲願として。
最期は捕らえられて殺されてしまうのだけど、なんていうかなぁ、あきらめない心なのか、はたまた滅びの美学なのかわからないけれど、歴史的にもはや取るに足らない存在ながら、命を燃やして光を放ち続けた感じがして、心に強く残った。
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2010.08.09.Mon 22:24 | | trackback(0) | comment(0)
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